京都中勢以物語 「いただきます。ごちそうさま」が、つい口から出てしまう。そんな肉になるように仕事をする。 三六五日、朝と夕、牛の成長や変化する体調をみて、飼料や飼葉を調整し与える。 生まれも、成長の仕方も、牛は一頭一頭でなにもかもちがう。いつ、なにを、どんなふうに育ててゆくのか。見極めの三十二箇月だ。 床藁を厚くしたり、窓を開けたり閉めたり、春夏秋冬に合わせてより良い環境を整える。 牛をみる。農家の時間を思う。それを食する者をイメージする。肉を見立てるというのは、そういうことでもある。 京都中勢以が考えるよい牛、好む牛というのがある。たとえば、体が詰まってコロンとしている。理由はある。 牛の命を頂く。すべてを無駄にするわけにはゆかない。 農家さんの仕事は、今日も変わらない。 ある日の競り。生体の競り。ずいぶん少なくなった。しかし京都中勢以は牛を見て、肉を判断する肉屋でありたい。 緊張感、スピード感、煽る司会の声、番号札、数字手。競りの風景。 張り、締り、詰まり、色、テリ。目と手が、たくさんのことを判断する。 どんなデータも知っておく。自分がおいしそうと思えるかどうかは、どんなデータにもまさる。 その肉をもっとも良い状態にするために仕事をする。その第一歩が熟成。熟成肉というものがあるのではない。 三十から九十日。その肉の持っているおいしさを引き出す。肉によって時間は異なる。 包丁の刃触りが教えてくれる。たとえば、しっとりと包丁に絡みついてくるような肉。京都中勢以は良い肉とする。 どの部位か、部位のどこか。牛の違い、熟成の期間やカットの厚みや方向、脂の有無など。味わいを司るのは、この膨大な情報の組み合わせ。味わいは無数にあるということでもある。 毎日、牛の事を考える。それが、肉に表現されるのだ。 牛・肉・人をつなぐために、牛を知り、肉を知り、人を知る。